忘れたくないその温かさは。


 

 

 

人生そう簡単にいくものではないと今でも思ってはいるけどね。

 


「母さん、お早う。
 最近仕事忙しかったから、なかなか来れなかったんだ、
 ごめんね。
 すぐに綺麗にしてあげるから。
 それにしても、寒いね。」

晃一は膝を持ち、よっこいしょ、という掛け声と共に立ち上がる。

 

 

 


 
俺はまだ幼かった。
母が死んだのはもう二十年近く前のことだ。
あのころはまだ小学生だった俺と太一は、
突然の生活劇的な変化に戸惑うばかりで。
母の死は辛かったけれども、
心の中にはまだあの手の温かさが残っていて。
忙しさにたまに忘れることはあっても、
少しでも余裕がある時はすぐに思い出していた。


 

 

自分も徐々に母の亡くなった歳に近づいていっていると思うと、
妙に自分が歳をとった感覚が膨らんで、少し侘びしく思うこともある。

 


柄杓で水を掛けてやる。
誰よりも優しくて誰よりも若々しくて誰よりも大好きだった母。
その面影がまだ残っているかのように、自分はまだここにいると主張するように
彼女の墓は少しも苔や土やらの汚れがついておらず、綺麗なままだった。
しかし、そうはいっても、また自分が来なければこの墓は汚れてしまうかもしれない。
父は自分以上に仕事に忙しいし、弟の太一も今は大学生でしかも卒業間近、論文に追われてそれどころではないのだから。
タオルで一通り拭き終えると冷たい風がひとつぴゅう、と晃一の肩を叩いた。
「幸せそうね」
あぁ、懐かしい。柔らかい、どこか温かい。母の声が聞こえた気がした。

 

 
それに答えるようにふ、と晃一は微笑んで
「俺の大切な人はね。とっても照れ屋なんだよ。
 優しいところと手が温かいところは母さんと一緒だけどね。
 …すごく大切なんだ。」

ありきたりな言葉でしか表せないのがもどかしいけど。
きっとわかってくれている、そう思えた。

 

お供物に親戚が送ってきたみかんを供えて晃一はその場にあった荷物を取り、
いつも通り学校へ出勤しようと墓地から出ようとすると
そこから少し離れたあたりに要が立っていた。

 


「お早う要君。要君もこれから登校するところ?」
「はい。」
「じゃあ一緒に行こうか。」
「はい。」

一緒に学校へ行く、というだけなのに恥ずかしそうに頬を赤くしている要。
晃一は嬉しそうに微笑んだ。


「あの・・・さっきの、先生のお母さん、ですよね。」
「うん。母さんは俺が小学生の時に亡くなったんだよ。
 もう二十年近く昔の話だけどね。」
「寂しくなかったんですか?」
「それあき…じゃなくて、俺の友達にも言われたよ。」
「・・・っ」
「“まぁね”、って。」
「?」
「その時は答えたんだけど。そしたら“君がお母さんみたいだから弟くんさみしくないね”って」
「そりゃあ先生は何でも出来ますから。」
「あはは、そんなんじゃないよ。あの時は本当に必死だったから。
 母さんの代わりに俺がしっかりしなくちゃ、炊事も掃除も洗濯も、自分でやらなくちゃ、ってね」
「でもそうやってそこまで必死になれるってことは
 よっぽどお母さんが好きじゃなくちゃ出来ませんよ、きっと。」

 

 やっぱり。ここが俺が彼を好きな理由のひとつだ。


 

「そうだね。本当に大好きだったから。
 本当はすごく寂しかったんだろうね。
 そうやって必死になることで紛らわしてたのかもしれない。」
「何だか嬉しいです。」
「何故?」
「先生のことなんて俺全然知らなかったから。
 先生が出来ないこととか、昔何があった、とか。」
「それを言ったら俺だって要君のこと何も知らないようなものだと思うなぁ。」
「俺のコトは知らなくていいですっ///」
「えぇ?そんなの不平等だよ、もっと知りたいなぁ、要君のコト。」
「・・・・・・好きにしてください。」
「ふふ、好きにさせてもらうね?」
「恥ずかしい人ですね、先生って。」
「どうとでもいいなよ。…あ、そうだ。
 要君のこと、母さんに紹介したいなぁ。」
「は!?そんなん駄目ですよ!!」
「どうして?」
「だって、大事な息子さんがこんな年下のがきんちょの…しかも、男だし。」
「駄目かどうかは母さんが決めることだよ、だから、ね?やっぱり隠れてこそこそより、
 誰かに認めてもらって味方を増やしたほうがいいでしょ?」
「はぁ、わかりましたよ。」
「じゃあ帰りに、校門にいてね」
「はい」

 

 


きゅ、と別れ際に握り締めた彼の手の温かさは、
  俺が心の中に仕舞い込んでいたものと同じだった。

 

 

 


あとがきですが。

ちょっとこーちゃんの過去をいじくってみました(笑
亡くなったお母さんと要、どこか似ているところがあったとしたら、
もっともっとこーちゃんは要を求めてしまいたくなるんじゃないかとか…!


痛いですね、すみません。

2007/02/08  しらのたまこ

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