やわらかい衝動
「ゆーた〜、しゅん〜」
軽く距離のあるところから祐希の声が聞こえる。
教室にいる女子たちがざわざわと騒ぎ始めた初春の頃。
機種変したばかりの携帯をかざし、我が愛すべき弟は特有の無表情笑いを浮かべていた。
「見てくださいよ。」
「わ〜これ要くんですか。」そう、とボタンを送ると、かなりの枚数が表示された。
「ていうかよく要が写メ撮るの許したね。ていうか、あーあれですか。盗撮?」
「人聞きの悪い。パパラッチですよ、パパラッチ。」
「そっちの方がなお人聞き悪いと思いますけど・・・」
促されるまま廊下を歩きながら喋る。
大体、この弟がウチのクラスにやって来るなんてことがあまりないのだが、
よほど報告したい用事だったのだろうか、これが。
「いつも嫌がられるからちょっとずつチャンス見計らってたんスけどね、ついに捕らえたわけですよ。」
「そんな嫌がる人ばかり撮らないでもっと楽に撮れるものを探せばいいじゃないですか。」
「それじゃあつまんないよ。わかってないなぁ、春はさ。こういう探究心がのちのちになって大発明を・・・」
「もう〜、そうやっていつも要くんをからかって〜。僕なんかはほら、こういうひよことか。」
お互いの携帯を見せ合いっこですか。全く現代っ子は・・・ていうか自分もそうなんスけどね。
「あら、浅羽君?悠太君の方よね?」そうですけど、と反射的に返事を返す。
なんだ、美術の。
「浅羽君、やっぱり絵、出してみる気ない?」
「でも、描くにしても題材がなかなか決まりませんので。」
「題材だったら簡単な静物画でもいいのよ。浅羽君は本当にいい作品を描くから・・・」いい作品と言われても。
本気で描いた絵なんて選択授業の数枚しかないんだけど。
「すごいじゃないですか、描いたら僕にも見せてくださいよ。」
「いや、コンクール出せば皆見にいけるからね?」
始めからそんな気なかったのに期待されても困るしねぇ。「ねぇ、何でもいいから行こうよ。早くしないといいショット逃しちゃうじゃん。」
「あら、邪魔しちゃったわね。じゃ、考えておいて。」
「はぁ。」人は簡単に描け描けと言うけれど、本気で描こうとすれば何ヶ月だってかかる。
まぁ、そもそも自分はそこまで時間をかけるタイプではないが。
そうでなくても大した労力なのだ。
美術の先生というからには今までも人生で何枚もの絵を描いてきたに違いないだろうが、
自分のような素人高校生(しかも美術部員ではない)にはちょっと厳しい。
これからあと二週間位は続くアプローチを交わすというのも大変なのだろうけど。「あ、ほら。パパラッチパパラッチ。これ絶対来月の学校新聞に載るね。」
「本気で投稿なんてやめてくださいよー?」ぼーっとしている間に祐希が有名人をこの手で収めてやろうとするパンピーよろしくやっているのを春がハラハラと見つめている。
「どしたの?はやく悠太も撮りなよ。この世にまたとないシャッターチャンスなんですから。」
「はいはい、優しいお兄さんも加わってあげるというのが今生の兄弟の情ってもんですからね」いつものように悪ノリついでだと携帯を取り出す。
画面を覗き込む。
要は一人、席替えでなったばかりだという窓側の席に大人しくポツンと座っていた。眠って・・・いる?
「なに・・・要、寝てるの?」
「そうだけど。言わなかったっけ。」
「全く存じ上げていませんでしたよ?お兄さんは。」というか、こうして教室で眠っている姿なんてもう見納めかもしれない。
木漏れ日の差し込む窓の側で肘を突いているところにちょうどカーテンが風でめくれあがってきている。
なんかここまでくると漫画によく出てくる感じの優等生の素顔はあどけない少年・・・?みたいな感じだ。絵になる・・・・っていうの、これは。
あまり同性に対してそういうこと思ったことないんだけどなぁ。
あぁ、祐希は別としてね。お兄ちゃんだからって贔屓してるわけじゃないですからね、言っとくけど。
ていうかそういう視点で要を見たのが初めてってことですよ。
「あら、浅羽君。描く気になってくれたの?先生嬉しいわ〜」
「はぁ。ていっても多分賞とか無理だと思いますんで。」油絵自体あんま慣れてないし。
思えばこういう構図ってありきたりだし・・・・「あら、これクラスの子?」
「え、あ、まぁ・・・そんなかんじなんですけど。」ていうかひとの携帯勝手に覗き込まないでしょ。
「何で描こうと思ったのかしら?」
「何でって言われても・・・・・・・」今このときに永遠に残しておきたい一場面だったから?
・・・まさか。
ただもの珍しかったから?
・・・ってワケでもない。
「"描きたい"と思った・・・だけなんですが。駄目ですか。」
「駄目なんて言ってないけど・・・というよりむしろそっちの方が飽きずに続けられていいと思うわよ。」
確かに・・・それはどこか納得出来る気がする。
描きはじめる段階で言っていてもしょうがないけど、飽きることだけは絶対に、ない。
決めたからには絶対に描きあげたい・・・気がする。
なんだか・・・動機もなにもかも曖昧過ぎてつかみどころがない。
あんまりこうして釈然としないことをがむしゃらにやろうとしたことがない。
こういう自分と・・・どういう風に付き合っていけばいいのかが、わからない。
「おい、悠太、いるかー。」
描きはじめるとあっという間に時間が経った。
なかなか集中力がいる作業だから大体取り掛かるのは毎日の放課後だった。
下塗り、上乗せの絵の具も大分塗り終わったし完成するのもあと二日位だろう。
また集中力のスイッチを入れなおし描きだしたところで呼びかけられて思わず体が強張った。
「なんだ、どしたの要。生徒会は?」
「ん?あぁ、今終わったトコ。なんか教室行ったらもう誰もいねぇし、春ももう部活終わって帰ったみてぇだし・・・」
「それで俺のところへ、ね。」
「まぁな。つかあれ、どうなんだ絵の方は?」
キャンバスの後ろ、俺の真正面に立っている要には絵が見えていない。
ちょっと見せてみろよ、と覗き込もうとしてくる。
「何、コレ、俺か・・・・・?」
あー・・・・ついに見られたか。
ってまぁ、制止すらしてなかったけどさ。要の写真を描いていることは誰にも言ってはいない。
知っているのはこの部屋で活動している美術部くらいだろう。「つーかさ、何で俺・・・なわけ。」
まぁ、普通はそう返すもんですよねぇ。
突然自分の絵なんか描かれた日には何だ、自分のコト好きなのか?コイツ。とか勘違いしちゃいますよねぇ。
何気に要君の顔も赤いしさ。「いや、別にどう、とかじゃないんだけど・・・ただちょっと描いてみたらいいんじゃないかなぁ、みたいな。」
「はぁ?なんだそれ。」
「天の思し召し?みたいな」
「ねぇよっ」
「わかんないよ〜?もし要がある日朝目覚めて『浅羽悠太君とお揃いのパンツをはいて通学路を逆走するとあなたのマザコンが治ります』とか言われたらさぁ。」
「言われねぇよ!っつか俺はマザコンじゃねぇって何度言ったらわかんだよ!」
「自分じゃ気付いてないんですよ〜『みなさ〜ん聞いてくださ〜いかなめくんはぁ〜「やめろ!!」
「ここ、俺以外誰もいないけど?」
「・・・・・・っくくくくく・・・」
「なによ〜自分で認めたってワケぇ?」
「ははっ認めて、ねぇよっ、コノォ、ははは・・・」
今気がついたけど、こうして要と二人きりで笑いながら話すなんて初めてだった。
ていうか要が真面目にウケているのを見るのすら久しぶりなくらいだ。
最近やたらと普段見ていない表情ばかり見せられているせいか俺の価値観が狂ってきている気がする。
ずっと見てたい・・・・・なんて気も。
え・・・・・・・・ちょっと待ってください?
悠太くん、今ちょっとおかしな方向へ足をつっこみましたよ?どっちかつうとコレ、道路の脇のあれ・・・どぶ?あたりにズボっと来た感じが・・・・
「おい、何ちんたらやってんだよ、もう下校時刻だろ、帰るぞ。」
「わかった・・・・」うん、なんでもいいからとりあえず1回落ち着こう。
いやー世の中ゾッとしそうなことって意外と起こるものなんですねー・・・
ていうかこれってゾッとしない話ですよね・・・ですよね。ていうかアレですよ・・・ここまで焦ったことあったかな今まで。
何度かハッとするようなこととかあったけどここまではちょっとね・・・
ていうかこれってかなり特殊な部類だよね・・・
『右のものは本コンクールにおいて優秀かつ芸術的な作品を発表したとしてこれを称する・・・・・・』「すごいじゃないですか。悠太くん。賞とっちゃうなんて。」
「つっても審査員特別賞だし。そんなに大したことないんじゃない?」
「またまた悠太くんてば謙遜しちゃって〜」
「なんなら画伯と崇めてくれてもいいよ?」
「いや、だからっていきなり調子乗りすぎだろ。」
「もう第二のダリみたいな?」
「ダリっつったらトリックアートみたいなのじゃねぇのかよ。あんなの全然そういう・・・」
「そういえば悠太くんの絵、どんなのなんですか?僕見にいけなかったので・・・」
「あ、それ俺も気になるー。ていうか悠太くん全然教えてくんないの。・・・・なによ、血の繋がった可愛い双子の弟にまで隠し事があるっていうの・・・?」
いや、そんな春の陰から恨めしそうに見られてもねぇ。「そんなに見たきゃ見に行けば?まだやってると思うし。作品展。」
「あ、じゃー見にいこー。いつか。」
「あ、じゃあ僕と行きましょうよ。」
「おい悠太・・・・・!」止めろよ、と目で訴えかけられてももう無理でしょあの二人だったら。
春ならまだしも祐希なんかはもう何言っても無駄だと思うけど。
「あ、そういえばこれ、上納品。」
「は?なんだそれ。」
「万年筆・・・ですかね?賞の景品ですか?」
「しっぶー。つか木製とかね。」
「お詫び金として」
「お詫び?なんのです?」
「おい、悠太!てめぇそれ以上・・・」
だったらさっさと受け取ればいいのにさ。
顔を赤くしながらちょっと手が震えてるがなんというか・・・・
「褒められ方を知らないシャイボーイっぽい。」
「っるせぇな!」
そう言いながら乱暴に受け取った万年筆が彼のペンケースの中からひっそりと顔を出していたのを俺は一生忘れない。
あとがき
はじめての悠要・・・・!描けました、描けましたよー!あれ・・・悠要で大丈夫でしたよね?
叶暁様、こんなですが是非お持ち帰りになってくださいませ;白乃たまこ 2008/03/30